世界中のロックファンに悲報が届きました。
ヘヴィメタルの生ける伝説、オジー・オズボーンが2025年7月22日、76歳で永眠したということです。
家族の発表によれば、「最期は愛する者たちに囲まれ、静かに息を引き取った」とのこと。
世界は今、またひとつ“時代の終わり”を迎えています。
■死因は・・・パーキンソン病と長年の負傷の影
オジーの死因について、正式な医療報告は公開されていませんが、長年闘っていたパーキンソン病と、かつての事故による首と脊椎の損傷が彼の体を蝕んでいたのは広く知られています。
2003年に病気が発覚し、2020年には公の場で診断を認めて以降、オジーは闘病を続けながらも音楽活動を続行。
特に晩年は車椅子やサポート機器を使用しながらも、ファンの前に姿を見せ続けていました。
医師による正式発表はないものの、関係者のコメントや報道からは「持病の悪化が直接的な要因」と見る声が強いです。
最後のステージでは、座ったままながらもマイクを握り続け、その姿が“本当の意味でのロック精神”だと称賛されていました。
■ ヘヴィメタルの象徴、「ブラック・サバス」から世界へ
1948年12月、イギリス・バーミンガムに生まれたジョン・マイケル・オズボーン。
オジーの名前が音楽史に刻まれたのは、1968年、あの伝説のバンドブラック・サバスのボーカルとして登場したときでした。
1970年に発表されたデビューアルバム『Black Sabbath』は、「ヘヴィメタル」という音楽ジャンルを世界に知らしめた作品とされています。
続く『Paranoid』は、史上最も影響力のあるメタルアルバムのひとつとして語り継がれている名作です。
その後オジーはバンドを離れ、ソロとしても『Crazy Train』や『Mr. Crowley』など数々のヒットを放ち、1億枚以上のセールスを記録。
彼の存在そのものが、メタル文化の“核”となっていました。
■ 最後の咆哮──壮絶な「お別れライブ」
2025年7月5日、オジーは長年の仲間であるブラック・サバスのメンバーとともに、イングランド・バーミンガムで一夜限りの再結成ライブ「Back to the Beginning」に出演しました。
残念ながら、これがオジーの最期のステージとなったのです。
その舞台にはメタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズ、ツール、スレイヤー、パンテラなどメタル界のスターが結集し、5万人近くの観客が見守る中、オジーは椅子に座りながらも全身全霊で歌い上げました。
ステージのラスト、バンドが演奏する「Iron Man」のイントロが流れた瞬間、観客の間にすすり泣きが広がったといいます。
これが“帝王”の最期の言葉になることを、誰もが感じていたことでしょう。
■ 世界から届く追悼の声──「唯一無二の存在だった」
オジーの訃報が伝えられると、世界中のミュージシャンや著名人が次々とコメントを発表しました。
メタリカは「オジーがいなければ俺たちは存在しなかった」と語り、クイーンのブライアン・メイは「彼の叫びが、時代を変えた」と追悼。
地元バーミンガムでは市民による追悼集会が自然発生的に開かれ、街の中心地にはオジーの肖像画と花束が飾られています。
彼の家族は「父は静かに旅立ちました。彼を愛してくれたすべての人々に感謝します」と発表し、今後はプライベートな追悼の場を持つと伝えています。
■ 破天荒と芸術性のはざまで
オジー・オズボーンと言えば、その音楽的才能だけでなく、「こうもりを食いちぎった」「テレビで家庭をさらけ出した」「ステージで錯乱した」など、数々の破天荒なエピソードでも知られています。
しかし、その裏にあったのは、幼少期の貧困、ディスレクシア(読み書き障害)との闘い、アルコールや薬物依存症との葛藤。
そして、そんな中でも常にマイクを手放さず、ステージに立ち続けた姿が、多くの人にとって「真のロックスター像」となったのです。
■ “ダークネス”の先へ──オジーが遺したもの
オジー・オズボーンは、生涯を通して“闇”を歌い、“混沌”を奏で、“狂気”の中に美しさを見出してきたアーティストでした。
彼がいなくなったことで、ロック界からひとつの魂が消えてしまいました。
しかしその魂は、彼の残した音楽や言葉、そして影響を受けた無数のアーティストたちの中で、今も生き続けていることでしょう。
「オジーがいなければ、メタルはここまで来なかった」と語る人がいますが、それは決して誇張ではなく、歴史的な真実であることと思います。

引用:BBCニュース
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