2025年9月9日、赤沢亮正経済再生担当大臣が記者会見で、自身の「格下の格下」発言について改めて説明しました。
従来は「へりくだり」「卑屈」とも批判されたこの表現ですが、本人は「交渉戦術の一環だった」と語り、その真意を明かしました。
この記事では、発言の経緯、戦術としての狙い、そして与野党や識者の反応を整理しながら、赤沢大臣の外交スタイルに迫ります。
発言の経緯 ―「格下も格下」とは?
2025年4月、米ワシントンでの日米交渉の際、赤沢大臣はトランプ大統領との会談後に「私は格下も格下」と発言しました。
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発言の場面
米国のトップと直接会談する機会を得たことへの感謝を述べるなかで登場。 -
発言の内容
「端的に言って、(私は)格下も格下ですので、大統領に会っていただいたことに感謝している」
この言葉は、外交の場での自己評価としては異例の「へりくだり」でした。
野党や一部メディアは「国益を損なう卑屈さ」と批判。
一方で「日本流の謙譲表現」と擁護する声もあり、賛否が分かれていました。
今日の説明 ―「戦術だった」
本日の閣議後記者会見で、赤沢大臣は次のように明言しました。
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「大統領の耳に入ると思い、相手の懐に飛び込むために発言した」
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「格下という言葉は謙遜のように受け止められたが、実際には交渉の布石だった」
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「関税交渉では最後まで投資重視の立場を貫き、米国を押し切った」
つまり、「格下」と称したのは卑屈さではなく、トランプ大統領の警戒心を解き、柔らかい空気をつくるための戦術だったというわけです。
「押し切った」とは何を意味するのか
赤沢大臣は会見で「米国を押し切った」とも表現しました。具体的には以下の点が挙げられます。
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関税交渉
米国側は自動車や農産品の関税をめぐり譲歩を迫ったが、日本は応じず。 -
代替案としての投資
関税引き下げの代わりに、日本企業の米国投資拡大で合意形成を進めた。 -
成果
赤沢氏は「日本は関税を守りつつ、米国市場での投資拡大を主導できた」と強調しました。
これは、単なるへりくだりではなく、「交渉の入り口では柔らかく、出口では強気に」というスタイルの一端とも言えるでしょう。
野党の反応 ―「堂々と交渉すべき」
しかし、こうした説明に対して野党側は依然として厳しい見方を崩していません。
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立憲民主党・徳永エリ議員
「日本の代表が『格下』と表現するのは不適切。戦術だったとしても、国民に誤解を与える」 -
共産党・山添拓政策委員長
「外交は対等であるべき。相手にへりくだる必要はない。戦術だとしても好ましくない」
つまり、「戦術」という説明を受けてもなお「不必要な自己卑下」とみる声が強いのです。
識者・メディアの見方 ―賛否両論
一方、専門家やコメンテーターの意見は割れています。
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擁護的な見方
橋下徹氏は「営業の現場でも同じ。相手を立てることで話が進む」と評価。
一部の外交評論家も「日本文化に根ざした謙譲表現であり、米国にはむしろ新鮮に映った可能性がある」と述べています。 -
批判的な見方
『日刊ゲンダイ』などは「戦術というより卑屈さの裏返し」と揶揄。
政治評論家の中には「相手がトランプ氏だから通じたが、他国では逆効果のリスクもある」と警鐘を鳴らす声もあります。
赤沢亮正大臣のプロフィール
ここで赤沢大臣の人物像も振り返っておきましょう。
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名前:赤沢亮正(あかさわ・りょうせい)
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生年:1960年(64歳)
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出身:鳥取県
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学歴:東京大学法学部卒、米ハーバード大学ケネディ行政大学院修了
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経歴:大蔵省入省後、2005年に衆議院議員初当選。以後、環境副大臣などを歴任。
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現職:経済再生担当大臣。対米交渉を含む経済外交の最前線を担っている。
官僚出身で、理路整然とした答弁に定評がありますが、今回の「格下」発言はそのキャリアの中でも異例の柔らかい表現だったと言えるでしょう。
今後の影響 ―戦術か失言か?
今回の説明により、「格下の格下」発言は「戦術」として位置づけられました。
しかし問題は、それが外交全体の評価にどう影響するかです。
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国内政治
批判的な野党は引き続き追及姿勢を崩さず、秋の臨時国会でも争点化する可能性。 -
国際的な視点
トランプ氏との個別交渉ではプラスに働いた可能性がある一方、欧州や中国相手に同じ表現を使えば誤解を招く懸念も。 -
有権者への印象
「謙虚な交渉人」として評価する層と、「国益を損ねる弱腰」と感じる層で分かれる見込みです。
まとめ
赤沢大臣の「格下の格下」発言は、本人によれば「外交戦術」であり、実際には関税交渉で「米国を押し切った」と自負する結果につながったとのことです。
とはいえ、その表現方法が国内で「戦術」と理解されるか、「卑屈」と批判されるかは今後の議論次第です。
外交の舞台では一言一句が国益を左右するだけに、今回の件は「言葉の重み」を改めて示す事例となったと言えるでしょう。
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