がんで闘病していた一人の青年が、自身の死後に残したたった一言のユーモアが、いま日本中の人々の心を揺さぶっています。
2025年10月14日、SNS「X(旧ツイッター)」に投稿された「グエー死んだンゴ」という言葉。この一文が瞬く間に拡散し、閲覧数は3億1000万回を突破。「冥福を祈る」声とともに、がん研究機関への寄付が相次ぎました。
まれながんとの闘病 ──22歳の青年の素顔
この投稿を残したのは、北海道津別町出身の中山奏琉(かなやま・かなる)さん(享年22)。
父・和彦さん(48)の話によると、奏琉さんは中学時代にソフトテニスで北海道大会優勝を果たすなど、努力家で真面目な性格だったといいます。
目標だった 北海道大学 に浪人を経て合格し、理系の道へ。「父が農業をしているから、農業機械をつくりたい」と将来を語っていたこともありました。
しかし、2023年秋、背中の痛みと腫瘍の発見をきっかけに、「類上皮肉腫」と呼ばれるまれながんが判明します。 国立がん研究センター によれば、年間20数例程度しか報告されない希少がんで、治療法も限られています。
手術、再発、そして「死を見据えた」投稿
2023年の手術で腫瘍を切除し、一時は日常生活に戻った奏琉さん。しかし翌年の検査で再発と転移が判明。強い吐き気と痛みに襲われながらも、家族の前では「つらい顔を見せず」、淡々と治療を受け続けたといいます。
2025年8月には容体が急変。医師から「あと1週間」と告げられる状態に陥りました。それでも一時は持ち直し、会話もできるまで回復しましたが、10月に入り再び悪化。
そして10月10日、自身のXアカウントにこう投稿しました。
「多分そろそろ死ぬ」
この言葉の裏には、死を冷静に見つめながらも、最後まで「自分らしさ」を貫こうとする覚悟があったとみられます。
「グエー死んだンゴ」──死後に仕込まれた“笑い”
決定的な出来事が起きたのは、逝去の翌日10月14日午後8時。
奏琉さんのアカウントから、こう投稿されました。
「グエー死んだンゴ」
これは、かつてインターネット掲示板「2ちゃんねる」で流行したスラングです。あえて死を“軽く茶化す”ような言葉に、多くの人々が涙と笑いの入り混じった感情を抱きました。
投稿には「予約投稿」機能が使われたとみられています。死の直前まで「自分の死を、ちょっと笑える形で伝えたい」という意志が込められていた可能性があります。
ネットが一体になった「成仏してクレメンス」
この投稿は爆発的な反響を呼び、10月22日時点で3億1000万回の閲覧を記録。
コメント欄には、「成仏してクレメンス」(ネットスラングで「安らかに眠ってください」の意)という言葉が無数に寄せられ、まるで一つの“ネット葬儀”のような空気が広がりました。
また、「グエー死んだンゴ」をきっかけに、Xユーザーの間では「香典代わりにがん研究へ寄付を」という呼びかけが相次ぎ、 国立がん研究センター などへの寄付が急増。金額は少なくとも数百万円規模に上るとみられています。
家族が語った「強さ」──「最後まで笑わせてくれた」
父・和彦さんは、息子の思いをこう振り返りました。
「僕らにはつらい顔を見せなかった。本当に頑張り屋でした。最後まで彼らしいなと、思わず笑ってしまいました」
中学時代から親元を離れて暮らしていた奏琉さん。最期の時を共に過ごせたことが「かけがえのない時間になった」といいます。
「死」ではなく「生き方」が残った
若くしてこの世を去った一人の青年。
彼が遺した言葉はたった一言──「グエー死んだンゴ」。
しかしこの言葉は、多くの人に「死を恐れるだけではなく、笑いと共に受け入れる」という視点を与え、社会全体に寄付の輪を広げました。
彼の生き方と死にざまは、今もSNSのタイムラインの中で、多くの人々の記憶に刻まれています。
🕊編集後記
この出来事は、単なる「バズった投稿」ではありません。
死という重いテーマに対しても、「自分の言葉」でユーモアを残した22歳の姿勢は、多くの人に勇気と考えるきっかけを与えました。
「笑いながら死を迎える」──それは悲しみではなく、ある種の“美学”として記憶されるかもしれません。
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