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「ヤジは議会制民主主義の一部」──立憲・石垣のりこ議員が持論を展開 高市首相の所信表明をめぐる“ヤジ論争”が拡大

高市早苗首相が初めて行った所信表明演説をめぐり、野党席から飛び交ったヤジが波紋を広げています。

立憲民主党の野田佳彦代表が「礼節を欠いた」として議員に注意した一方で、同党の石垣のりこ参院議員は「ヤジは議会制民主主義の一部」との持論をSNSで展開。

与野党の間だけでなく、国民の間でも「ヤジの是非」をめぐる議論が過熱しています。



■ 所信表明演説で騒然とした国会 飛び交った「えー」「何をやってきたんだ」

10月24日、高市早苗首相が衆参両院で行った初の所信表明演説。

「女性初の首相」として注目が集まる中、演説冒頭から議場はざわめきに包まれました。

与党席からは「頑張れ!」「よーし!」といった声援が上がる一方、野党席からは「今まで何をやってきたんだ」「えー!」といったヤジが飛び交い、高市首相が一時演説を止める場面も。

議長が静粛を求めるほどの騒然とした雰囲気に、SNS上では「これが日本の国会か」「子どもに見せられない」といった批判が相次ぎました。

この出来事を受け、日本維新の会・吉村洋文代表(大阪府知事)はX(旧Twitter)で

「子供に見せれない。恥ずかしいよ」
「あのヤジが仕事になる。国会議員の定数大幅削減だよ」

と痛烈に批判。

一方、立憲民主党の小西洋之議員は

「ヤジは非常に重要な議会活動です。
素晴らしいヤジもありました」
と投稿し、火に油を注ぐ形となりました。

■ 野田代表は「注意」 “礼節”の観点から反省促す

批判が広がる中、立憲民主党の野田佳彦代表は25日、静岡第一テレビの取材に応じ、ヤジを行った議員に注意したことを明かしました。

「新首相が誕生して、まずはどういう話をするのかを受け止めることから始めなければいけなかった」

と語り、名前は明かさなかったものの「礼節を欠く行為だった」として、党内で一定のけじめをつけた形です。

注意を受けた議員は「礼節を守ります」と応じたといいます。

野田代表はさらに、

「ヤジを奨励してはいけないが、異論を萎縮させてはいけない」
とも述べ、民主主義における“声を上げる自由”と“品位”のバランスを強調しました。

■ 石垣のりこ議員「ヤジは民主主義の表現の一つ」

そんな中、同じ立憲民主党の石垣のりこ参院議員が自身のXでヤジを擁護する立場を表明しました。

「国会でのヤジについて、『子どもに見せられない』『教育上よくない』といった批判がしばしば聞かれます。
しかし、子どもへの教育と国会における議論とは、目的も立場もまったく異なります。」

さらに、石垣氏はヤジの存在意義をこう説明します。

「議員は国民の代表として、政府の方針に疑義や不満を感じるとき、それを表明する責任を負っています。
その表現の一つが『ヤジ』です。」

ただし、石垣氏は“なんでも許されるわけではない”とも強調。

「人格攻撃や差別的な言葉は許されません。
しかし政策や答弁への即時的な反応までを単に『無作法』と切り捨てるのは、議会制民主主義の理解として浅いのではないでしょうか」

と投稿しました。

投稿は瞬く間に拡散され、賛同と批判の双方が殺到。

「まっとうな意見」「議会は討論の場だから当然」と支持する声がある一方、「品位を失えば信頼も失う」「子どもの教育に悪影響」と反発するコメントも相次ぎました。

■ 「ヤジ文化」は本当に必要なのか? 専門家の視点

政治学者の間では、「ヤジ」は国会文化の一部として長年続いてきた行為とされています。

日本大学の政治学者・田代祐一氏は次のように指摘します。

「ヤジは本来、議論を活性化させる“即興的な批判”という側面があります。
しかし、SNS時代の現在では、その一言が切り取られ、文脈を離れて拡散されるリスクも大きい。
『表現の自由』と『公共の品位』の間で、より繊細なバランスが求められる時代に入っています。」

実際、欧州の議会でもヤジやブーイングは存在しますが、
英国議会のように「皮肉と機知」で構成される言葉の応酬が文化として根付いており、
単なる怒号とは異なる「議論の一形態」として理解されています。

■ 立憲民主党内にも温度差

石垣氏の発言は、同じ立憲民主党内でも波紋を呼んでいます。

ある中堅議員は「党として野田代表が『礼節』を強調した直後に“ヤジ容認”のような発信は、世論に誤解を与える」と懸念。

一方で、若手議員の中には「国会が形式的すぎる。リアルな感情を出すことも必要だ」と賛同する声もあり、党内の温度差が浮き彫りになっています。

■ 「静かすぎる国会」への反発も?

SNS上では、ヤジ批判とは逆の意見も見られます。
「議員が政府の言葉にその場で反応すること自体が民主主義だ」「静かな国会ほど形骸化している」という声です。

特に若年層の中には、
「感情を抑えて形式だけの答弁を続ける方がよほど不誠実」「ヤジも政治参加の一形態」と捉えるユーザーもおり、
“静かで整然とした国会”が必ずしも理想とは限らないという意見も一定数あります。

■ 「ヤジ」は民主主義の証か、秩序の乱れか

今回の一連の騒動は、単なるマナー論にとどまらず、「政治における表現の自由とは何か」という根本的な問いを突きつけています。

野田代表が語る「礼節」と、石垣議員が訴える「異論を示す責任」。

両者の立場は一見対立しているようでいて、実は「どうすれば民主主義が健全に機能するか」という同じ課題を見つめています。

国会のヤジが単なる罵声ではなく、政策への即時反応として成熟していくなら、それは“議論が生きている証拠”にもなり得ます。

しかし、もし感情的な批判が支配する場になれば、国民の政治離れをさらに加速させかねません。

■ 終わりに:問われる「声の使い方」

石垣のりこ議員は最後にこう結んでいます。

「問われているのは『人の話を聞くこと』と同時に、
『理不尽やごまかしに対して声を上げること』の両方を、どう教えるかです。」

静かに聞くことも、声を上げることも、どちらも民主主義に欠かせない行為です。
問題は“声の有無”ではなく、“声の使い方”。

今回のヤジ論争は、国会の品位だけでなく、私たち一人ひとりの「民主主義への態度」を映し出しているのかもしれません。

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